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キリスト教との出会い

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

うす暗い修道院の聖堂の祈祷席に、足首までの黒い修道服、胸には真っ白な巾広なカラー、真っ黒なヴェールで被われたシスターの祈る姿をはじめて目にしたときの驚き。感動でしばらく身動きできませんでした。

小学5年生、それは思春期の入り口に立った10才のわたしにとって決定的な出会いでした。

まだ終戦から5年ほどしかたっていない、あちらの文化がどっと押し寄せてきて、コーラやコーンフレークやバターの香ばしいクッキーなどが珍しくてワクワクするような時代でした。

キリスト教文化とは無縁に育ったものですが、よくよくふり返ると、その祈りへの招きは、とつぜん降って湧いたのではないように思えます。

もっともっと小さい頃、母に手をひかれて歩いていたわたしは、立ち寄った神社の、森閑としたたたずまいにこころ惹かれ、またお寺の本堂の声明に、居ならぶひとびとと共に掌を合わせていたのをかすかながら憶えています。誰に教えられるともなく。

幼いわたしに呼びかけてくださるかたに、「神さま・・・」って知らずしてこたえていたのでしょうか。

修道院の日曜学校のシスターとの出会いのあとは、もうひき込まれるように修道院通いがはじまりました。

あまりに熱心だったせいか、シスターはすぐに洗礼の準備をしてくださり、毎週修道院の応接間に学校から直行し、紅茶とクッキーをいただきながら、シスターの個人教授を受けたのです。終わると晩課の鐘が鳴り、聖堂に集うシスター達とともに長い詩編を唱えるのでした。おとなりの席で、祈りのページをいちいち囁き声で教えてくださったのは、まだ白いヴェールのシスターのたまご。

クリスマスの洗礼まであと何日・・・と指折りかぞえて待ちこがれていた日々です。