キリスト教文化とは無縁に育ったものですが、よくよくふり返ると、その祈りへの招きは、とつぜん降って湧いたのではないように思えます。
もっともっと小さい頃、母に手をひかれて歩いていたわたしは、立ち寄った神社の、森閑としたたたずまいにこころ惹かれ、またお寺の本堂の声明に、居ならぶひとびとと共に掌を合わせていたのをかすかながら憶えています。誰に教えられるともなく。
幼いわたしに呼びかけてくださるかたに、「神さま・・・」って知らずしてこたえていたのでしょうか。
修道院の日曜学校のシスターとの出会いのあとは、もうひき込まれるように修道院通いがはじまりました。
あまりに熱心だったせいか、シスターはすぐに洗礼の準備をしてくださり、毎週修道院の応接間に学校から直行し、紅茶とクッキーをいただきながら、シスターの個人教授を受けたのです。終わると晩課の鐘が鳴り、聖堂に集うシスター達とともに長い詩編を唱えるのでした。おとなりの席で、祈りのページをいちいち囁き声で教えてくださったのは、まだ白いヴェールのシスターのたまご。
クリスマスの洗礼まであと何日・・・と指折りかぞえて待ちこがれていた日々です。