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キリスト教との出会い

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

私たち夫婦がキリストの教えに出会ったのは、長女をカトリックの幼稚園に入れたのがきっかけでした。

まず夫が長女の入園を機に、出会った方々の暖かいお人柄に惹かれ、神父様について「聖書」の勉強を始めました。旧満州に生まれ育ち、多感な16歳で敗戦を迎え、価値観が逆転するのを見た夫は真理に基づく普遍的な何かを魂の奥深く求めていたのでしょう。ほんの2〜3回勉強しただけで、科学者である夫は、人間の弱さ、不完全さに気づき、その人間を限りなく愛される神の存在に目覚めて、一足飛びに「クリスチャンになりたい!」と言いだしたのです。

神父様も、「信仰は一生かけて歩む道です。今すぐ洗礼を授けましょう。しかし折角だから奥様もご一緒に!」と言われました。

その時、私は「とんでもない!」と思いました。カトリック教会には中世ヨーロッパの魔女狩りや免罪符など、権威的でかび臭いイージが強くて偏見を抱いていたからです。

 

しかし私も常に「確かな心の支え」を求めていました。両親を早く失ったので、人の命のはかなさ、この世の切なさを心のひだに染みこませていたからでしょう。

長女の入園式で園長先生が「ご父兄の皆様はお子様をキリスト教の愛の精神での教育を!とこの園を選ばれたと思います」と挨拶された時、私は頭をガーンと殴られた気がしました。ただ園が近かったから入れたからです。修道女姿の園長先生の毅然としたお姿に打たれ、私は生意気にも批判がましい好奇心で、母親対象の聖書研究会に入りました。

そして少しづつ心が開かれて「私はありのまま、神様に愛されている・・・」と信じる気持ちに変えられて、感謝の内に、夫と2人の幼児をつれて一家で洗礼を受けました。

長女の入園からわずか3ヶ月後のことでした。