▲をクリックすると音声で聞こえます。

キリスト教との出会い

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ

私は小学生の時に赤ん坊の弟が亡くなったのをきっかけに家族中で洗礼を受けたので、キリスト教との出会いは小学生の時と言うべきかもしれませんが、実際のところ、その頃はあまりよく分かってはいなかったという思いもあるのです。

でも、だんだん祈りが、特にミサに出ることが自分にとってかけがえのないものになっていったのは、大切な友達がガス中毒で亡くなったことがとても大きな契機だったような気がします。

彼は、私たちの仲間の中でも、とても優秀で、将来が楽しみだと思わせるような人でした。その人が亡くなって、追悼の集まりが開かれた時に、一人の若者が立ち上がって「ここにいるすべての人それぞれに、彼からのメッセージがあるはずだ。私たちは、それを大切にして生きていこうではないか」と話したのです。忘れられない言葉でした。

そして、結婚して、子どもたちが6歳と8歳だったときに、彼らの父親である最初の夫が突然死しました。その時も、本当に嘆き、悲しみ、夫と出会う前はどのように生きていたのか分からないほどでした。

でもその時、私たちは教会の隣りに住んでいましたから、ちょっとした時、悲しみに打ち拉がれていても、お使いの帰りに教会に寄って祈ることができました。子どものことで困ったことがあっても、教会の神父様やシスターたちと一緒に子どもを育てているような思いがありました。必ず助けが与えられる、必ず困難を乗り越えることが出来ると知るようになりました。そして、他にも、困難はいくつもありました。

でも、その度に、気がつくと、それを乗り越えることが出来ていました。きっと、それが神様のご計画だからでしょう。