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キリスト教との出会い

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

私が生まれた年はスペインで内戦が起き、日本では陸軍の青年将校が首相官邸を襲撃した2・26事件がありました。以来、今日までの数十年に、良い想い出、悪い想い出が蓄積されました。

今はとても幸せで、こんなに幸せでいいのかなあと感じますが、過去を回想した途端に不安になり、怒り心頭に発したり、憂鬱になる場面も沢山あります。逆に急に顔がニコニコし、笑いが止まらず、踊りだしたい気分になる事もあります。

職業柄、人間の罪悪感、劣等感、不信感、混乱感、絶望感を分析したりしますが、ふとキリスト教との出会いが無ければ、この分析力は単なる学問の領域で終始し、今のような暖かい人間味のある分析は出来なかったろう、とキリスト教に感謝しています。

キリスト教は不思議な宗教で、この宗教と関わり出しましてから私の分析力はとても進歩したようです。

イギリスの大学の恩師は、しばしば「君たちが勉強している分析は限界があるよ。特に罪の意識で苦しむ人々については、或程度は役に立つが、最終的には信仰の領域の素晴らしさを説明しないと無理だからね」と忠告されていました。罪悪感に苦しむ沢山の人々、特に私自身の心を何よりも救済してくれた概念が「十字架の贖罪と復活」という思想でした。キリスト教との出会いで私の重い感情は救われました。

心理療法での難しい課題は患者さんの不信感、疑惑感、劣等感、混乱感、孤独感、停滞感、絶望感ですが、ヨハネ福音書のサマリアの女とキリストとの出会いは、イギリスの大学研究室で一番大事にされている心理療法の到達点です。この場面は心理療法家が憧れる名場面で、この場面から沢山の示唆と知恵が与えられています。