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キリスト教との出会い

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

私は生後4ヶ月でカトリックの洗礼を受けたので、もの心がついた時は、両親と教会に通っていた。

8歳になるとバスの乗り方を父に教えられて、土曜日には1人で教会に行った。「土曜学校」に参加するためだった。土曜学校というのは、小学1年生から6年生までを対象とした教会の学校だ。神父さまと一緒に大人の信者も手伝って先生になってくださる。3つか4つのクラスに分かれて楽しく聖書を勉強したり、お祈りをしたりする。その後は、庭で鬼ごっこなどをして遊ぶ。

土曜の午後3時から始まるので、学校の友達と夢中になって遊んでいる時に、公園の時計を見て時間になると、遊びをやめて教会に行った。両親とも仕事をしていたので私が土曜学校を休んでも知られることはなかった。しかし、私は神様のまなざしをいつも意識していた。どこへ行っても、神様は私から目を離さないのだ。サボることはできなかった。

学校ではほとんどの友だちが神様を知らず、祈らないで暮らしていた。だから仲良しの友人にはお祈りを教えたこともある。

「キリスト教との出会い」は、両親が祈る姿を見せてくれたことが始まりだ。食事の前後と夕の祈りは家族で一緒にしたが、父や母が、部屋で1人で祈っている姿もよくみかけた。

毎週、日曜日には欠かさずミサにあずかり、美しい花の生けられた祭壇に向かって、信者さんたちと賛美歌を歌ったり、祈ったりした事は、今思うと、本当に素晴らしい経験だった。とにかく熱でも出さない限り、日曜はミサに行く。

母は、「神様の家に連れて行きさえすれば、子供は幸せになる、と考えていた」と言っていた。