「食事の前には、お祈りをしなければいけないのよ。幼稚園ではいつもしているわ」普段おとなしい妹がきっぱりした口調でいうのです。私は驚きました。食事の前にしなければいけないことがあるなんて。家族全員、一度持った箸を食卓に戻しました。父が妹に向かって静かに尋ねました。
「そうか、どんなお祈りなのか言ってごらん」
妹は両手を胸の前に組むと唱え始めました。
「天にいらっしゃるおとうさま、私たちに今日の食事を与えて下さってありがとうございます。この食事を私たちの健康な心と体を作る糧としてください。主イエスキリストによってアーメン」
妹の祈りが終わると、私たちはいつものように「いただきます」と言って食べ始めました。食べながら、私は考えていました。食事というものは、両親が用意してくれるから、食べることができると思っていました。しかし、先ほどの祈りによれば、どうも少し違うようです。両親が食事を用意できるように取り計らっている御方がどこかにいるらしい。その人は、いったいどこにいるのかしら。天井から覗いているのかしら。それとも、もっと屋根の上、空にいて私たちを見ているのかしら。私の頭の中は、疑問でいっぱいになりました。
私が初めて出会ったキリスト教は、このとき妹が唱えた「食前の祈り」だったのでした。