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キリスト教との出会い

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

私が洗礼を受けたのは、本当に幼い頃だったので、確かな自覚が芽生えるより先に、もう信者になっていたのだと言ってもよいと思う。

両親に連れられて、日曜日の朝には教会に行き、ミサにあずかっていたが、或る時、ミサを終えた神父様に「天国に行ったら、何をしたいの?」と訊ねられたことがあった。まだ小学校に入っていなかったから、5歳くらいだったろうか。真剣に考えた答えは「神様のお膝に抱っこされて、アイスクリームを食べたい」であった。丁度生まれたばかりの妹に、大人たちの膝を奪われ、以来甘えることが出来なくなっていたせいで、そんな答えになったのかもしれない。

それから成長と共に、アイスクリームは特別な食べ物ではなくなった。自分だけに都合のよい天国も存在しないのだと考えるようになって、年月が過ぎた。

だが大学生になって1年目の時である。いつもより少しぼんやりして講義を受けていると、誰かが「神様とか天国とか・・」と腹立たしそうに言うのが聞こえた。大学には、宗教には無縁で、また批判的な学生も多かったから、聞き流したつもりだった。が、心が反応したのだろう、何かを投げ渡されたかのように、ぽん、と5歳の時に願ったことを思い出した。そして次の瞬間、閃くように、その願いは口に出すより先に叶っていたのだということがわかった。

たとえ僅かであったとしても、私も生まれた後、大人たちに抱っこされてきたのである。それは神様の膝であった。私は、天国がどこにあるかわかった気がした。人は敢えて声を上げなくても、その時に気づかなくても、あらゆる恵みに包まれているのだと思われた。

答えはずいぶん遅れてやって来た。明るい春の教室の中で、その時がキリスト教と私の出会いであった。