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キリスト教との出会い

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

わたしは子どものときから性格が内向的でしたので、人生が虚しくつまらなく感じられて仕方がありませんでした。この傾向は、曇りや雨の日が多い東北に生まれ育ち、しかも両親が幼少の頃他界していたので、ひどくなる一方でした。

10人兄弟の末っ子として育ったわたしには、2人の姉がいました。上の姉はすでに嫁いでいましたが、2番目の姉は女学校を卒業した後、カトリックの修道女が経営する専門学校に入り、寮生活をしていました。ここで姉はカトリックの洗礼を受けました。その姉が冬休みになると実家に帰ってきました。

10歳のわたしは、この姉が語る神さまのことを聴いて、すぐその場で信じました。そして、天国に入るには良い子にならなければならないということで、『み教えの本』という子ども向けの本を読んで、熱心に祈りました。

苦しみや悩みの多いこの人生を、少しでも明るく楽しく元気に過ごしたいと望むならば、まずこの天地万物を私たちのために創造された神さまがいらっしゃることを信じなければなりません。そしてその神さまに祈り、より頼みながら、おのが分に応じた生き方を精一杯していくことではないでしょうか。

私たち人間は、「神にかたどり、神に似せて造られた」(創・1・26)のですから、偉大な存在です。ですから、神の分身ともいうべき自分自身を、おのが分に応じて進化・発展させるよう努めなければなりません。これが本当の幸せの道であり、こうした真実を私たちに悟らせるために、神の御子イエスは、人間となって、救い主キリストとなられたのです。

宗教としてのキリスト教は信じなくても、キリスト教が指し示すこうした真理の光を信じるならば、愛と平和と喜びのうちに生きていくことができると思います。