仏教関係の方にはご縁がないのでわからないが、キリスト教の信仰を持った方にお目にかかると、生き生きと何事にも前向きで、精神が安定しておられるなと感心することが多い。もちろん日々を送る上でのご苦労や悩みはあるだろう。けれども、心のどこかで安心しているように見える。神の大きなふところに許され、愛されていて、自分が乗り越えられない試練は与えられないと信頼しておられるのだろうと思う。
私も私の子どもたちもミッションスクールで育ったので、ボランティアが日常であった。飢えている国の人々のために募金をする時も、安易にお金だけを出すのではなく、自分たちも一食をおにぎりのみにする、という痛みの分かち合いも教えられた。不思議なことに、人間は利己的な生きものであるくせに、利他的な行動には更に喜びを感じるらしい。
例えば、乗り物の中で席を譲り、感謝された時など、妙に嬉しい。立たなければならなくなって、足は疲れるのだが、それを上回る元気が出てしまったりするのである。
健やかに生きるには、節制と精神の安らぎ、他者への愛が不可欠に思える。だが実は、それらも信仰という大地が足元にあってこそなのだ。それは贈られた秘訣であり、秘密であるようにも思う。