ですが、私はちょっとこの説を疑っています。と言うのも、私の師匠は今の私の歳で亡くなりましたし、また、先生に次ぐ世代の指揮者達も、大抵人並みか、又は、それ以前に亡くなっているからです。それで、私の結論は「指揮者は長生きする」ではなくて「長生きしそうな人が指揮者になっている」という、これは意味深ーい事実なのです。
と、こんな具合に考えてみますと、聖書にも「義人は早死にし、悪人は長生きする」(参:コヘレトの言葉7・15)と書いてありますから、「指揮者は悪人である」との結論になりそうです。
いやー、まてまて待てー!それはいくら何でも言い過ぎだろ、と周りから突き上げられそうですが・・。
しかし、神の御前である程度は苦しみ、悩みを甘受しつつ、つまり、他の人々の幸福のためには、極端に言えば、早死にをも喜んで受け入れる人は、神の招きの中で、考えも及ばない幸福と、湧き上がる命を生きる事となるでしょう。これは聖書全体のメッセージなのです。
そこで、もう一歩、指揮者論を進めてみると、「指揮者はそれほど悪人でもないので、早死にするかもしれないけれど、生きている間は健康である」というのはどうでしょう?
こうして私の健康の秘訣は、指揮をしている以外には、すぐ近くの大学病院に、妻共々かかっている事なので、この辺からちょっと情けなく、勢いも衰えそうですが・・。