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健康の秘訣

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

何度、山の上まで石を運び上げても、その瞬間に石が山から転げ落ちる。それでも、石を山の上まで運び続けなければならない。ギリシア神話の登場人物、シシュポスが受けたという恐ろしい罰だ。

似たような罰は、仏教説話にも出てくる。何度、石を積み上げても、鬼が来て壊してしまうという「賽の河原」の話しだ。無意味な労働ほど恐ろしい罰はない。それが、人類に共通の実感なのだろう。

日々の生活の中で、仕事が苦しみに変わることがある。それは、仕事の目的を見失ったときだ。目的を見失い、「こんなことをしても意味がない」と思い始めた瞬間から、それまで楽しかった仕事が突然、厳しい苦役に変わってしまう。無意味な仕事は、苦役以外のなにものでもないのだ。

人生の目的がはっきりしていれば、そのための労働はすべてやり甲斐のある仕事になる。しかし、人生の目的がぼやけ始めると、何をしても無意味な苦役にしか感じられなくなる。人生の意味は、目的があって初めて生まれるものだから、それは当然のことだろう。

日々の仕事が無意味な苦役にしか感じられなくなったとき、私は「ああ、目的がぼやけ始めたな」と思って、すぐ自分の人生の目的を思い出すことにしている。私の人生の目的は、苦しみの闇の中にある人たちに、神様の愛の光を届けること。そのための奉仕には、必ず意味がある。そう思えれば、その瞬間から、苦役が再びやり甲斐に満ちた仕事に変わる。

自分が偉くなりたいとか、有名になりたいとか、そのような私心によって目的がぼやけるとき、日々の奉仕は無意味な苦役になってしまう。何をしても人生に意味が感じられなくなり、心がすり減っていく。

心の健康を保つために、どんなときにも人生の目的を見失わないようにしたいと思う。