この頃、看病と仕事の両立は無理と判断し、55歳で会社を辞めた。会社を辞めてしばらくすると主治医から弟と私が呼ばれ、母のがんが小さくなったと言われた。
母が回復している喜びと同時に、私は自分自身が無職であることが身にしみた。独身で仕事が生きがいの私にとって、無職は耐え難いものだった。不安定な状態にいる時、恩師から電話があり、学生になったらと言われた。私は看病だけではない、受験勉強のために明るくなった。日々、看病にも勉強にも喜びと集中力があった。
無事、上智大学神学部三年への編入学試験に合格して、入学式を迎えた。夏休みの頃になると母のがんは半分になっていた。とはいえ、母の病気はいつ急変するかわからないので、喪服を買った。
卒業する頃には主治医に「完治したと言える」と告げられた。喪服は卒業式で着た。また半年後には「完治した」とほほ笑みながら言われた。
「健康の秘訣」は、1にお祈り、2にハグ、3に喜びであると思う。突然、母の病気を宣告され苦しんだけれども、その中で出来ることを探し、喜んで生きる時、母には祈りの生活、私にはペンの使徒職が与えられた。