それは、神父様が入院中もベッドの傍に簡易の祭壇を作り、ほかの患者さんたちとともにミサを上げておられたことです。療養中なのですから、ほかの神父様のミサに与かってもまったく不思議ではないところを、マクドナル神父様は自らミサを上げられたのでした。
これは、単に怪我から快復しようと思う気持ちだけでは説明がつきません。どんな逆境にあっても人のために祈ることを忘れないという強いお気持ちが、このようなことを可能にしたのだと思うのです。
人生をかけ、自分の生命をかけて何かをしようと思う一途な気持ちは、年齢や体の状態に関わらず、その人の日々の道のりを健康なものにするのでしょう。
信仰の世界だけでなく、社会にもこのように、一途な思いによって健康な日々の道を開いている人がたくさんいます。
私がテレビで見たのは、食品用のラップを開発する人。彼は鞄の中に常にラップを持ち歩き、アイデアが出れば路肩に立ち止まってすぐに試すそうです。「家族の次にラップが大事」と奥様が苦笑している場面が印象的でした。
文字通りの健康は、病気でない状態を意味します。しかし、日々の道を健康にできれば、病気や障害を抱えていても健康に生きることができるのではないでしょうか。
一生をかけて続けられることへの一途な思い。私にはそれが、健康の秘訣の一つに思えています。