先生と呼ばれるのが嫌いで、さんづけか、ちゃんづけで呼んでねとおっしゃる。気さくに神様の話をしてくださるヒマワリみたいなキャラクター。神父様から紹介されたときの第一印象でした。
昔は伝道師というと、髪をひっつめにした、地味な服装のお堅いイメージでした。でもOさんは新しいタイプの人、結構おシャレで生活に根ざしたご自分の信仰体験をわかちあって下さいます。
そう、街かどでばったりのあの時。
「あらお久しぶり。お茶でもどう?」のひとことでした。
その頃、遠方からその街に戻っていた私は、息子を亡くし、家庭でも仕事にもゆき詰まっていました。
Oさんにそんな細かな打ち明け話はしませんでしたのに、どこかで鬱屈した想いが伝わったのでしょう。
「希望を失わずに」とか教会にいらっしゃいなど忠告めいた言葉はなく、ただ、目の前のOさんが全身全霊で私と向かいあってくださってるなあーそう感じました。
「いろいろな時ってあるわよねー。大丈夫、神様はちゃんとしてくださるわ」といわれただけ。
それなのに不思議。ふっと何かが変わりました。
以来30年。けっしてベッタリではなく、つかず離れず彼女について歩いています。
一緒にいるだけで100パーセントほっとするOさんのあとを。