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平常心

高見 三明 大司教

今日の心の糧イメージ

兵庫県のあるカトリック教会の神父が、ミサの準備をしているときに、あの阪神淡路大震災が起こりました。その神父は、恐ろしさのあまり、激しい地震の揺れのため、右に左に移動する長いすに必死にしがみつくだけで、死ぬ前にしなければならない「悔い改め」をする余裕はなかったそうです。この神父の気持ちは、誰もが理解できるでしょう。実際、あのような大きな地震が起こるとき、平常心でいることは不可能に近いと想像できます。

ところで、マザー・テレサは、レバノン内戦のとき、砲弾が打ち込まれている方向に養護施設があるとわかると、子どもたちを助けるためにそこに向いました。居合わせた司令官は、非常に危険だからそのような無茶なことはしないよう、強く警告したのですが、彼女はその危険を冒して、子どもたちを助け出したのです。彼女は、平常心、つまりいつものような穏やかな心を失っていたのでしょうか。そうではなく、むしろ冷静に、しかし愛に駆られて、自分のいのちを失うという恐れをモノともせず、自分のいのちをかけて、無防備の幼いいのちを救うことを選んだのでした。

そもそも、ささいなことで怒ったり、何かにつけて人を批判したりする人には、平常心そのものがないかもしれません。平常心は、精神的にも物質的にも生活が安定しているだけでなく、生きる目標がはっきりしており、歩むべき道をわきまえている人にこそ備わっていると言えそうです。

しかし、恐れ、不安、怒り、欲情、嫉妬などの感情が強く働くとき、失われることが多いようです。従って、平常心を保つためには、まず感情を抑え、自分自身をしっかり保つことが大切です。そうすれば、自分が置かれた状況を冷静に判断し、前に進むことができるでしょう。