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一致を願う

土屋 至

今日の心の糧イメージ

私の勤務していた学校では、1年に1回合唱祭がある。クラスごとに課題曲と自由曲が決められ、定められた練習期間の間、生徒たちは最優秀賞、優秀賞をめざして猛練習をする。

練習期間のはじめのころはなかなかメンバーが揃わずに、委員の生徒が練習への参加を声をからして呼びかける。しかし、本番の1週間前になると、ほとんど全員が揃い、全員参加で練習が行われるようになる。文字どおりクラス全員の気持ちが一致してクラスの一体感が高まってくる。担任としてもぜひ自分のクラスに賞を取らせたいと思うようになるものである。

ところが高校3年になると、ちょっと事情が変わってくる。練習よりも塾を優先する生徒が出てくる。委員の呼びかけを尻目にその目をかいくぐってさっと下校してしまう生徒が出てくるのである。

委員をはじめとして一生懸命練習に参加する生徒からは、塾で早く帰ってしまう生徒たちをクラスの一致を妨げるものだとして、白い目で見る。さすがに、直接口で非難することは少ないのだが、そういう生徒が出てくると、練習に今ひとつ身が入らなくなり、合唱の完成度も低くなってしまうことは確かだと思う。

教員となってはじめのころは、わたしも担任として練習に参加しない生徒に練習に参加するように指導したり、それでも参加しない生徒には非難の目を向けていたが、最後の頃はだいぶ変わったように思う。

クラスの一致といっても、しょせんは賞を取るためであり、参加しない生徒を非難し排除することは正しいことなのかと疑問に思うようになった。練習に参加しようとしない生徒をも包み込むクラスの気持ちの一致、つまり多様性の中の一致を作れたらいいと思うようになったのである。難しいことだと思うけれど。