最も親密な関係であるはずの夫婦にしても、その一致のモデルは三位一体の神の内部の相互愛であり、またキリストがご自分の教会を愛するように、互いに愛し合うようにと聖書に記されています。
ところで、こうした一致は、単にスローガンとしてあるというだけなら、そこには逆に、不一致が拡がる結果となることでしょう。
やはり、最終的には、私達各々が一致を願い、回りの人々と協調する努力を評価し、僅かでもよいからそのために出来る事をしてみる、これが大事ではないでしょうか。
我が家でも、この事に協力している、と言えるかどうか。
まず、妻が私に「あなた、今日のお昼はカップ麺でいいかしら」と、荘厳にのたまいます。私に否やがあるはずはありません。「いいよー」、これが毎日とは言わないまでも、それに近い基本的な受け応えです。これをバラエティに富ませるには、いささかテクニックが要りますよねー。
こういう地道な努力が、妻との一致の不可欠な要素であることは、世のお父さんたちの一致して認める、ほろ苦い一大事なのです。と言うのも、妻との一致なくして、世界の一致などあり得ましょうか。