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追憶

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

 実家近くにある土手の道を夕暮れに歩いてみると、子どもの頃、買い物かごを持った母に手を引かれて歩いた日のことを思い出す。

 母はすでにこの世を去っているが、母にまとわりつきながら市場へ行き帰りした甘い記憶がよみがえってくる。何を話し、何を買ったのかはほとんど記憶にないが、この思い出の中に浸っていると、家庭の暖かさや両親の愛情で心を一杯に満たすことができる。そして、明日からの一歩を踏み出す勇気がわいてくる。

 聖書を信じる民も、優しさと愛情で心を満たし、明日への一歩を踏み出す勇気を与えてくれる救いの追憶を大切に保ち、次の世代へと伝え続けていた。

 エジプトでの苦しい生活から逃れ、神さまが与えてくれた約束の地への過ぎ越しをイスラエルの民は「過越祭」という食事の形で残し、伝え続けてきた。

 この日、パン種の入っていないパンと苦菜が食卓に並び、立ったまま食事が始まる。家族の中で一番年下の少年が父親に尋ねる。

 

 「お父さん。今夜はほかの夜とどう違うのですか?」すると、父親はエジプトから脱出した救いの出来事を子どもに語り伝える。

 聖書を信じる民にとって、この救いの追憶は単なる昔話やノスタルジーではなく、この救いの出来事を思い起こすことによって、今日でも確かに、この救いの力が働き続けていることを信じ、確認する行為でもある。

 イエスという方は、この過越祭の雰囲気のある食事の中で、いつもと違う言葉を弟子たちにかけられた。

 「イエスはパンを取り、...弟子たちに与えて言われた。『取りなさい。これはわたしの体である。』また、杯を取り、...言われた。

 

 『これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。』(マルコ14・22~24)

 今もイエスは私たちにご自身を与え続けられる。