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自然に親しむ

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 自然に親しむために、海や山や旅行に出かけることがあるでしょう。

 自然というのは、神様がお造りになった素晴らしい世界を現しています。人間は神の子ですが、同時に自然の子です。今日の大自然が、かつてのような美しさ、雄大さ、繊細さなどの一部を失っているとすれば、自然の子である私たち人類が、自然界を私利・私欲のために破壊し、濫用してきたからではないでしょうか。大自然は私たち人間の一部です。ですから、私たち人間が、自然を愛し、大切にして、<人間の進化・発展のための必須のパートナーと見なすべきです。それが聖書にある天地創造の物語の教訓ではないでしょうか。

 人間を「神の似姿」として創造された神は、その他の生き物や自然を治めなさいと言われました。それは、人間が世界の生き物や自然界の事物を自分たちのパートナーとして取り扱い、秩序正しく利用しなさいという意味ではないでしょうか。自然を愛と感謝の念をもって、人々のより大いなる進歩・向上のために節度正しく用いるとき、人も自然も神の創造物として光り輝くにちがいありません。

 わたしは、かつて若いときに富士山に3回登山しました。最後のときは、友人と2人で、5合目から登山道のない斜面を溶岩にすがりつきながら剣が峰の頂上を目指し、途中、何度も神様に祈りながら3時間かけて登ったことがあります。友人は遅れていたので、待っている間、頂上に腰を下ろしながら、真っ青な空と下界の雲海、そして小さく見える町の明かりなど、深い平安と歓喜のうちに眺めていました。まさに至高経験でした。

 ある詩人は、山に真理がある、と言いましたが、私は富士山の頂上で神を体験したようなものです。自我のはからいが無くなり、ただ自然の動きと一体になるような感覚を覚えました。