人間を「神の似姿」として創造された神は、その他の生き物や自然を治めなさいと言われました。それは、人間が世界の生き物や自然界の事物を自分たちのパートナーとして取り扱い、秩序正しく利用しなさいという意味ではないでしょうか。自然を愛と感謝の念をもって、人々のより大いなる進歩・向上のために節度正しく用いるとき、人も自然も神の創造物として光り輝くにちがいありません。
わたしは、かつて若いときに富士山に3回登山しました。最後のときは、友人と2人で、5合目から登山道のない斜面を溶岩にすがりつきながら剣が峰の頂上を目指し、途中、何度も神様に祈りながら3時間かけて登ったことがあります。友人は遅れていたので、待っている間、頂上に腰を下ろしながら、真っ青な空と下界の雲海、そして小さく見える町の明かりなど、深い平安と歓喜のうちに眺めていました。まさに至高経験でした。
ある詩人は、山に真理がある、と言いましたが、私は富士山の頂上で神を体験したようなものです。自我のはからいが無くなり、ただ自然の動きと一体になるような感覚を覚えました。