ある夜、蒲団を敷く頃に喫茶店ごっこを始めると、母から「早くパジャマを着なさい」とたしなめられました。父は少し恥ずかしそうな顔をして私と目を合わせ、一緒にコーヒーカップを片付けてくれました。父はいつも私と同じ気持ちになってくれました。
ロングヘアーが自慢だった小学校2年生の時のことも忘れられません。髪を切らなければならない日が来ました。その夜、もう髪は短くなった後ですが、昼間のショックが心に残り、「髪を切りたくない」と夢をみて泣いていると、父が起きて優しく慰めてくれました。私は安心していつのまにか眠りました。父は同じ一人の人間として私の思いを感じてくれたのです。
キリスト教では、イエス・キリストへの信仰と共に、天の御父への信仰も不可欠です。私にとって「天の御父」は実在の父のイメージと重なります。御父はどんなに些細なことにも心を留め、私たちと同じ気持ちになってくださる方だと思うのです。私たちの身にふりかかかるすべてを、まるでご自分の身に起こったことのように感じてくださる方ではないでしょうか。
福音書の中で、イエスは「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる」(ヨハネ14・11)と言われました。これは、分けられないほどにお二人は一致しているということです。御父とイエスさまは愛の理想の姿です。