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おとうさん

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 戦争の影響で、子供の頃に実父を亡くした私は、小学生の時から礼拝でのお祈りに、「天のおとうさま」と呼びかけることは、実際に父に語りかけるような親しみと甘えがありました。

 「天のおとうさま、お早うございます。今日は遠足です。帰るまで雨を降らせないで、お友達と仲良く楽しく過ごせますようにお守りください。」とは、ある日の朝のお祈り。「今日は通学途中で電車が止まり困りましたが、親切な大人の方が一緒に終点駅迄歩いて下さいました。天のおとうさまが頼んでくださったのですね。ありがとうございました。でも沢山歩いて疲れました。お休みなさい、天のおとうさま」とは、眠りにつく前の祈り。子供の私はこんな他愛のないお祈りを朝晩くり返し、父なる神は実の父そのものでした。

 毎日礼拝のあったミッションスクールの小学校から国立の中学に進学し、子供じみた祈りの習慣はいつしか薄れていきましたが、当時歴史の部活で細川ガラシャに興味を持ち、中3の春、ホイヴェルス神父様をお訪ねする機会を得ました。カトリックとの出会いです。それは聖母マリアとの出会いでもありました。

 思春期のさまざまな悩みを、マリア様を通して父なる神に聞いて頂くという行為が、自らの反省を促し、心を落ち着かせることに気付き、次第に子供の頃の習慣がもどってきました。さすがに「天のおとうさま」ではなく、「父なる神」と呼びかけましたが、日々の祈りは私にとって最も心が開放される大切な時間でした。

 洗礼のお恵みを授かってから、既に40年以上になり、真に活かされていること、使命を帯びていることが実感できる今は、「天のおとうさま、有難うございます。」と、子供の頃以上に親しみをこめて祈っています。