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おとうさん

高見 三明 大司教

今日の心の糧イメージ

 わたしが中学校に入った頃、当時姉と兄と妹2人がいましたが、誰からともなく、両親のことを"とうちゃん"、"かあちゃん"ではなく、これからは"おとうさん"、"おかあさん"と呼ぼう、と言い出しました。でも、いざとなると、気恥ずかしくて、とても勇気がいったものです。最初は小さな声でしか言えませんでしたが、徐々に慣れて行きました。

 その"おとうさん"が、わたしの中学3年生の夏休みの時、"心臓麻痺"で急死しました。目の前が真っ暗になり、自分の心と家族の中に大きな穴がぽっかり開いたように感じました。わたしは、成人する頃、対等に話せる相手として"おとうさん"の必要を感じましたが、それはかないませんでした。しかし、いろいろな面で父の影響を受けていました。

 毎朝欠かさず子どもたちを連れてミサに参加していた"おとうさん"は、厳しくて怖いときもありましたが、楽しいお酒を飲み、お世話好きで遊び心もありました。売るための薪割りをした時は、母に煎り豆を準備させておやつにしたり、椎の木の中にいた白い太い幼虫を、砂糖醤油で焼いて食べさせてくれたりしました。

 機嫌がいい時は、縁側で尺八も吹きました。ある時は、公民館で公演していた旅役者を何人か家に招いてごちそうし、その結果、茶壷のお茶がごっそりなくなるということもありました。またある時は、行きずりの人を我が家に連れてきました。彼は、マンガを上手に書くので、子どもたちにとってはいいお兄さんでした。しばらく滞在して野良仕事を手伝っていましたが、いつの間にか姿が見えなくなりました。彼は何かわけのある人だったようです。

 弱さも持っていた"おとうさん"でしたが、わたしは今でも尊敬しています。