その父の得意料理が、野菜スープでした。作ってくれるのは、病弱だった私が、風邪などで熱を出して寝込んだとき。「元気が出るスープだよ」と、慣れない包丁をもって台所に立ち、タマネギや、キャベツをたっぷり刻んでコトコト煮込んでくれるのです。そして、最後に、新鮮な卵を一つ割りいれ、さっと煮立てて出来上がりでした。父はそれを大きなどんぶりによそって、丁寧に私の前においてくれました。
食欲がなくても、私はちょっと濃い味の父の手料理を食べ、本当に元気になっていくのを感じたものです。熱いスープを少しすするだけで、心がじっくりと温まり、体が温まっていくのです。そして、その心の力がやがて体の力となって、熱を追い出すことができたのでした。
いまも父は不器用で、それを受け継いだ私も不器用です。でも父は、私の成長や心の変化を黙って見守り、ずっと同じ愛情を注いでくれています。大人としてそれを感じるとき、私は父への感謝とともに、神と人間の関係に思いを馳せるのです。
いくつになっても、見守られ、野菜スープをもらう子供。それが父にとっての私であり、神様にとっての人間なのではないか、と。