愛の実践

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

 何かをしようとしても、なかなかすぐに始められなくて「また今度・・」と先送りする癖のある私にとって、「今でしょ!」という流行の言葉は、強烈なインパクトがあります。本棚の整理など日常生活のことだけでなく、「これお裾分けしてあげようかな?」など小さな親切心が湧いた時なども、「押しつけがましいかな?」と、つい止めてしまいがちなのですが、この「いつするの?今でしょ!」という言葉には有無を言わさず背中を押す力があり、すっと思ったことを実行する勇気が与えられるのです。

 この「今でしょ!」という気合いの入った言葉の持つインパクトは、「今」という次元の大切さを意識する意味において、アメリカで教わった英語の詩と重なって感じられるのです。

 Yesterday is a history

 Tomorrow is a mystery

 Today is a gift

 That is why we call it the Present

 昨日はもう過ぎた歴史

 明日は未知の世界

 でも今日という日がある

 それは贈り物

 だから「今」のことを英語で「プレゼント」という。

 つまり、過去に囚われず、未来を思い煩わず、与えられた環境の中で、「今日」やるべき事を精一杯、心を込めてやるようにということです。しかし、その「今日」という日も、一瞬、一瞬の積み重ねですから、「今」のこの一瞬、一瞬をいかに過ごすか・・・ということが将来の幸せへの大切な鍵になるのでしょう。そしてその今の中に、神様の愛の力が共に働かれるからでしょうか?厭なことをされた人でも許せる優しい気持ちになれるから不思議です。

 小さなことでも、何かいいことをしようと思ったら、「今でしょと勇気を出して、どんどん実行してゆきたいものです。

愛の実践

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 愛とは、いつくしむ、かわいがる、いたわるなどの行為であり、その対象により、友愛、母性愛、博愛、隣人愛など色々に表現され、状態により慈愛、情愛、敬愛、熱愛、溺愛と様々な云い方をされます。恋愛や性愛となるとますます範囲は広がりますが、私達が神様のみ心にかなう愛を、実践するということになると、隣人愛、博愛を目指すべきなのでしょう。

 ルカによる福音書10章に書かれている善きサマリア人の話は、まさに愛の実践のお手本です。「隣人を自分のように愛せよ」という律法の部分は、マタイもマルコも福音書にしっかり記録していますが、「わたしの隣人とは誰ですか」と尋ねられた答えとしてイエスが話された、サマリア人の行動については、ルカの福音書でのみ知ることが出来ます。

 私達は家族の中や学校や職場などお互いに見知っていて、気持ちをわかりあえる間柄であれば自然に親切に出来、情愛や敬愛を込めた行動を実践出来ます。ところがイエスが話された追いはぎに襲われた人と、通りがかりのサマリア人は全く見ず知らずの他人です。そればかりか普段は交流のない、差別される関係の人同士だったのです。

 マタイの福音書5章44節には「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」という重いみ言葉があります。やはり究極の愛を目指すなら、敵対する人に対しても、惜しみない愛情をそそぎ許すことの出来る、大きな心と勇気を持って博愛を実践することであり、神様は人類にそれを望んでいらっしゃるのだと思います。


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