歩き始めて間もない幼い子どもと手をつなぐ機会があった。この世に来たばかりの汚れていない瞳。10本揃っているのが不思議なほどの華奢な指と爪。生きることの始まりは、こんな小さな柔らかさなのだ、と胸が一杯になった。
人類の生きる意味が「愛」という大きなものであっても、その入口は、無力な者同士が転ばないように守り、支え合うことなのだと思われる。聖母マリアの両手が抱いておられるのが、幼子イエスであることを思い出しながら、このささやかな入口から入って行きたい。私たちは小さな者だから、小さなことから愛を実践していくことがふさわしいのだ。
誰かの手を支えることが出来る時、私たちは暖かく心が満ちていくのを感じる。愛するという行為に、心が喜んでいるのかもしれない。そのうちに、自分も誰かに支えてもらっていることにも気づく。そんな喜びと感謝のうちにいる時こそ、私たちは本当に生きているのかもしれない。