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愛の実践

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 詩人の吉原幸子さんの作品集「吉原幸子全詩Ⅱ」の中に「自戒」という詩行がある。

 「死にたい/と書くことで/死なないですむのなら/詩はクスリみたいな役に立つ/けれど その調子で/生きるかはりに(代わりに)書いてはいけない/愛するかはりに(代わりに)書いてはいけない」。

 ちゃんと生きていないのに、詩だけ書いて、生きているつもりになってはいけない。まず人生を本当に生きなさい。本当に愛しなさい。そしてそれを書きなさい。と吉原さんはおっしゃりたかったのだろうか。詩人は言葉の世界に魅せられるあまり、実生活を侮ってしまう時がある。それを諌められたのだろうか。だが、本当に生き、本当に愛するのは誰にとっても難しいことなのだ。

 歩き始めて間もない幼い子どもと手をつなぐ機会があった。この世に来たばかりの汚れていない瞳。10本揃っているのが不思議なほどの華奢な指と爪。生きることの始まりは、こんな小さな柔らかさなのだ、と胸が一杯になった。

 人類の生きる意味が「愛」という大きなものであっても、その入口は、無力な者同士が転ばないように守り、支え合うことなのだと思われる。聖母マリアの両手が抱いておられるのが、幼子イエスであることを思い出しながら、このささやかな入口から入って行きたい。私たちは小さな者だから、小さなことから愛を実践していくことがふさわしいのだ。

 誰かの手を支えることが出来る時、私たちは暖かく心が満ちていくのを感じる。愛するという行為に、心が喜んでいるのかもしれない。そのうちに、自分も誰かに支えてもらっていることにも気づく。そんな喜びと感謝のうちにいる時こそ、私たちは本当に生きているのかもしれない。