ある聖女の伝記を読んでいましたら、彼女の修道院に「どうしても好きになれず、顔を見るのもつらくなるシスターがいた」とあり、あら、こんなすばらしい聖人であっても嫌いでたまらないひとがいたのね、とちょっと安心してしまいました。
そして彼女はどう努力しても「嫌い」を好きに変えられません。考えたのは、その大嫌いなシスターと顔を合わせるときは、とっておきの笑顔で向き合うということでした。聖女もじぶんの弱さに苦しんでいたのです。それにしてもすごい策略!あるときその姉妹は嬉しそうに「わたしのどこがそんなにあなたの気に入ったのでしょう」といったそうです。
そうか、それでいいのね、愛の表現になるのだから。なんだかダマしているような気がしないでもないけれど・・・でもこれはよきダマしかたなのだと思います。
愛されているという幸福な思いをはこぶのですから。
愛の小さな道だと納得。
たいせつなのは、弱い人間である私たちは、すべてのひとを愛するのは難しくとも、「愛したい!」という思いをもち続けることなのでしょう。