その後、お決まりの反抗期もありましたが、高校卒業後、渡欧、イタリアに10年、そしてベルリンに3年住んでいます。こうして私も息子も母親とは離れて暮らすということになった訳です。しかし離れて暮らす分、次第に年をとる母親に、息子がたえず心を配ってくれるのがわかって嬉しいです。
そしてまた、息子は母親の中に、それがどれ程純粋で、日々自分の内面を見つめている女性であるかを理解し尊敬しつつも、そこにやはりアダムとイヴの末裔の影があることも見抜くのです。鋭いなー!。もっとも、とても優しくですがね。
キリストの母、マリア様も同様に母となりました。その意味では、主イエスも、何があっても愛してくれる母として、マリア様を見たことでしょう。
しかし、じっと背中を見つめていたのは、マリア様の方だったのです。しかも、自分の子を神として、十字架上で苦しみの果てに息絶えるまで、信仰の目で見ていなければならなかったとは、どんなに苦しかったかったことでしょう。