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母の後ろ姿

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 戦後間もない頃、軍人だった父が失職せざるを得なかったという厳しい状況から、母は私達幼い3兄弟のため、40人ものお弟子さんにピアノを教える日々でした。今ならギャルと呼ばれる年令でのこの重荷は、思えば哀れです。以来、結核に倒れ、亡くなるまでの50年、子供たちと離れての療養所生活が続きました。

 時は移り、私も結婚し、幸い、息子が大きくなるまで一緒に暮らすことができました。その息子がまだ小さかった頃、例えば強情をはっておへそを曲げていると、「お母さんはどうしてあなたを叱るの?愛しているからでしょ?じゃ、いいわ、もう叱らないから」と言いますと、息子は「いやだー、叱ってーっ」などというやりとりが度々あったものでした。

 その後、お決まりの反抗期もありましたが、高校卒業後、渡欧、イタリアに10年、そしてベルリンに3年住んでいます。こうして私も息子も母親とは離れて暮らすということになった訳です。しかし離れて暮らす分、次第に年をとる母親に、息子がたえず心を配ってくれるのがわかって嬉しいです。

 そしてまた、息子は母親の中に、それがどれ程純粋で、日々自分の内面を見つめている女性であるかを理解し尊敬しつつも、そこにやはりアダムとイヴの末裔の影があることも見抜くのです。鋭いなー!。もっとも、とても優しくですがね。

 キリストの母、マリア様も同様に母となりました。その意味では、主イエスも、何があっても愛してくれる母として、マリア様を見たことでしょう。

 しかし、じっと背中を見つめていたのは、マリア様の方だったのです。しかも、自分の子を神として、十字架上で苦しみの果てに息絶えるまで、信仰の目で見ていなければならなかったとは、どんなに苦しかったかったことでしょう。