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母の後ろ姿

土屋 至

今日の心の糧イメージ

 一昨年92歳でなくなった母のいよさんは、晩年「自分は料理が下手で子どもたちに申し訳なかった」としきりに謝っていた。わたしたち4人の子どもはいよさんがそんなコンプレックスを持っていたとはちっとも知らなかった。

 でも、子どもたちはみな、いよさんの料理が好きだった。特別な見栄えのいい料理こそなかったが、食べ盛りの子どもたちは、大きなお皿に山と盛った料理をおいしい、おいしいといいながら、われさきにと競い合って食べ、あっというまにたいらげた。

 いよさんの米寿のお祝いのときだったか、お祝いに集まってきた子どもたちみんなに聞いてみた。
「いよさんのつくった料理の中で何が一番おいしかったか?」

 子どもたちはめいめいに言い出した。そのにぎやかさはみんな子どもに戻った感じだ。

 だれかが「やっぱりカレーライスかな」と言うと、「そうそう、うちはお鍋1つではたりなくて、2つでつくっていて1つはハヤシライスだった。みんな3ばいずつおかわりしたね」
「とろろじる」「運動会の日の海苔巻き」「おはぎ」・・・。

 それぞれその時の食卓について誰かがひとこと付け加え、そのたびに話が盛り上がった。
「なんといってもコロッケだな。いよさんのつくってくれたコロッケよりおいしいコロッケはどこでも食べたことがない」
とわたしが言うと、皆も
「そうだ、コロッケだ.コロッケが一番だ。確かにお店で買ってきたコロッケやレストランで食べたどのコロッケよりもおかあさんのつくってくれたコロッケは格別においしかった」

 ふだんはあまり意見が一致しないこどもたちだったが、コロッケに関しては皆が一致した。

 嬉しそうにそれを聞いていた母の笑顔と、台所でコロッケをつくっている母の後ろ姿が目に焼き付いて忘れられない。