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母の後ろ姿

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 母のうしろ姿を見て育った。」という言い回しをよく聞きます。そもそも後ろとは前に比べると、イメージは暗くなります。後ろを見せるというのは、負けて逃げること、相手に弱みを見せることでもあります。後ろ向きとは、進歩や発展など前へ向かうことに逆行することであり、消極的又は反動的な態度でもあります。ではなぜ母のうしろ姿は、見る人を育てるほど印象深いのでしょうか。

 ルネサンスを代表するアーティストのひとり、ラファエロ・サンツォは聖母の画家といわれます。昨年の3月から上野の西洋美術館で、ラファエロ展が開催され、有名な「大公の聖母」をはじめとする珠玉の名作が、60点近く初来日しました。彼の描く聖母は、大抵幼児イエスを左手で抱き、あごを引いて口元にわずかに笑みをたたえ、眼差しはやさしくイエスを見つめるか、イエスと同じ方向を向いています。ほとんどの作品の聖母は、前向きに描かれています。さすがに全くうしろ姿を描いた作品はありません。

 そんな中で数点の横向きに、注目してみましょう。

 「テンピの聖母」は両手でイエスを抱き、イエスの足にはひとすじの血が流れていて、聖母の首から背にかけて、わが子を守る強い意志を感じます。「幕の聖母」は聖母子と共に十字架を手にした幼い聖ヨハネが描かれており、聖母の背後が特に暗く表現されています。表の顔はとりつくろえても、背中は正直に感情を表現してしまうのでしょうか。

 心残りがあって思い切れない感情を「後ろ髪を引かれる」と云います。母のうしろ姿からは、その思い切れない母の様々な感情、淋しさ、悲しさ、そして大きな愛や喜び等が察せられ、見る子供の心を慰め、ある時はがまんさせたり、決意させたり、無言の会話を成立させるのです。