その年の「夏」の終戦の前日に、軍港だった私達の故郷も空爆され、丘の中腹に掘り抜かれた防空壕の中で一夜を過ごしました。
その夜、空爆と高射砲の炸裂音が一際激しくなった時、母は姉と私を懐に抱き抱えて地面に伏し、「一緒に死のうね」と囁きました。
その優しい母の言葉に包まれて、私は死の恐怖を少しも感じることなく、ただ・・母と共にいる幸せに包まれていました。
その年の「秋」、母は突然腹痛を訴え、わずか3日後に亡くなりました。その前日の夜、急性腹膜炎 の激痛を堪えながら、甘えん坊だった私に「おいで・・、一緒に寝よう」と掛布団を空けてくれた母。
そんな母との僅か数年間の想い出は、今も身近な現実感で、私の人生を包んでいます。そして同時に又、あの優しい母の心の強さに支えられている私の人生でもあるような気がします。あの紫色のサングラスを通して見た神秘的な現実を生きる私の人生。そんな私の人生は、「母の後ろ姿」に支えられて生きて来たのかもしれません。