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母の後ろ姿

シスター 菊地 多嘉子

今日の心の糧イメージ

 ほぼ2000年前、イエスの「恵みに満ちた言葉」(ルカ4・22)は人々の魂に触れ、深いあわれみは病に苦しむ人々を癒し、死者をも生き返らせ、群衆の心を捉えていました。

 その頃、ふるさとナザレに行かれたイエスが、会堂で教え始めると、聞き入っていた同郷の人たちは驚嘆の叫びをあげます。「この人はどこからこういうことを授かったのだろう。奇跡さえ行う知恵を持っているとは!」そして、互いに囁き合うのです。「彼は大工ではないか。マリアの子ではないか」と。(マルコ6・2〜3)親族も自分達と一緒にいるのに、イエスが神の子だというのを、どうして信じることができよう・・・。同郷意識に固まっていた人々はイエスの身内をあまりにもよく知っていたので、イエスを預言者であり、神の子であると認めることができなかったのです。

 イエスは彼等の不信仰に驚き、預言者は自分の郷里では受け入れられないことを、旧約時代の実例を挙げて話し始めました。これを聞いた会堂内の人々は、激怒して立ち上がり、イエスを町の外まで追い出して、山の崖から突き落とそうとしたのです。救い主であるわが子が故郷を去って行く姿を、じっとみつめる母マリア。そのうしろ姿が語る万感の思いを、誰が汲み取ることが出来たでしょうか。

 神の使いは、「あなたから生まれる男の子は偉大なものとなる」(参・ルカ1・32)と告げ、預言者シメオンは「この子は人類を照らす光」(参・ルカ2・32)と語ったのです。やがてマリアは、十字架の下に立つでしょう。それでもマリアは、神様のみ言葉は必ず実現すると信じ、希望し続けました。

 

 聖母のうしろ姿には、死ぬほどの苦しみの中でも神様のみ言葉を疑わない母のゆるぎない信仰と、わが子への限りない愛が秘められています。