母は、食べ物だけでも自分の働きで得るために田畑で1年中一生懸命働き、子ども5人の家族を養ってくれました。わたしが3歳過ぎた頃のことだったと思いますが、断片的ながらこんなことを記憶しています。担い棒を使って物を運ぶためのわら製のかごがありましたが、わたしはその中に寝かされて、畑の脇のところにいました。小雪がちらつく寒い日でした。母は畑仕事をしていたわけです。母の家族思いと苦労をあらためて思い起こします。
クリスマス、復活祭、聖母の被昇天祭には、教会に行く前に下着から上着に至るまで一そろい、かおりただよう新品を身に着けたものです。それは、母が、兄弟5人分の新しい衣服を買ってくれたからできたことです。子供の頃は、どこかで当然と思いつつも、母が自分のためには一切新しい衣服を買っていないのに気づいて、申し訳がない気がしていました。
1985年に76歳で亡くなりましたが、母のことを思うと涙が止まりませんでした。