▲をクリックすると音声で聞こえます。

母の後ろ姿

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

 私の伯母は30前半の若さで夫に先立たれ、残された3人の幼子たちを連れて実家へ帰ってきました。ところが里の跡取り息子の急死やその妻の離別という不幸が重なり、残された幼い甥と姪、つまり私たち兄妹の母代わりも務めることになりました。

 昔の田舎のことですから、本家の私の家はお手伝いの人も大勢いて祝い事や法事などで、しょっちゅう親類の人が集まり、会食をしていました。

 

 楽隠居の身から再び家業に精を出さねばならなくなった年老いた祖父を助けて家の中の一切を切り盛りしながら、私たちを含めて5人の子どもを育ててゆくのは若い伯母にとって並大抵のことではなかったと思います。

 

 伯母は毎晩、仏壇に燈明をともし、お経をあげていました。どんなに忙しくて疲れていても、お経を一巻唱えると、不思議に体がしゃんとして気持ちもすっきりするので、旅行中でも一晩も欠かしたことはないと言っていました。

 

 私はお経をあげる伯母のそばでそれを聞くのが好きでした。お経の途中に「チエコ」と私の名前が読み上げられるのが嬉しくて、面白かったのです。後にそれは人間の小さな智慧を超えたみ仏の「智慧の光」つまり「智慧光」だったと知り、我ながらおかしくなりますが、暗い仏間に正座して一心に手を合わせて祈る伯母の姿は、ローソクの光に照らされて何となく神秘的で、目には見えないけれど、何かしら人間の力を超えた尊い存在を子供心に感じさせるものがありました。

 

 後に私がカトリックの教えと出会い、宇宙万物の創造主である神の存在を知った時、自然な気持ちで素直にその教えを受け入れることが出来たのは、幼い日、伯母の祈る姿を見て育ったことが土台にあったからではないかと思われてなりません。