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意気込み

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

 普段は朝寝坊の少年が、日曜日の朝だけ、見たいテレビ番組のために早起きしたり、教科書にはいつも落書きをしている学生が、自分の興味のある記事だけは、一生懸命読んだりすることがある。

 また、午前中の授業は居眠りしている生徒が、朝早くからのクラブ活動の練習には精を出すこともあるし、朝が弱いお母さんが、子どものお弁当作りに早起きすることもある。

 人間というものは、自分の興味のある事がらや、使命感を感じている事がらには一生懸命になるが、そうでもない事がらになると、うわの空になるらしい。

 逆に言うと、自分が興味を持ちさえすれば、また、何らかの使命感を持っていれば、どんな事がらにも一生懸命になれるし、集中できるとも考えられる。

 聖書によると、次のような話が伝えられている。朝早くまだ暗いうちに、イエスは祈るために人里離れた所へ出かけ、祈っておられた。すると、弟子達はイエスの後を追い、次のようにイエスに告げる。

 「みんなが捜しています」

 前日、カファルナウムと言う町で、多くの病人をいやしたイエスの後を追って、大勢の人々が押し寄せていたのである。

 これに対して、イエスは次の言葉を弟子達に告げる。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」(マルコ1・38)と。

 この話は、当時の人々に神の国が到来したこと、救いの時が近づいたことを告げる生活を始めたばかりのイエスが、大勢の迷える人たちを目の前にして、自らの使命の大きさを受け止め、宣教活動に対する意気込みを表したエピソードであるとも言える。

 イエスはこの意気込みをしっかりと保ち続けて、十字架の死に至るまで、これを生き抜くのである。