有能なエンジニアのサポートのおかげでシステムは完成し、そのシステムは私が退職する前の年まで20年以上働き続けた。この技術革新の激しい分野で、ひとつのシステムが20年以上働き続けたことは、奇跡に近いと言っていいことだとひそかに思っている。
私のその学校での最後の仕事は、20年以上稼働してきたその成績処理システムを入れ替えることであった。私は「宗教」や「現代社会」を教える教員であったはずだが、私の教員生活は成績処理システムに始まり、成績処理システムに終わったという皮肉な結果になった。
もっともその間に私は新しいもの好きの伝統を受け継ぎ、時代に先駆けて生徒のためのパソコン教室をつくり、またインターネットが使えるようにした。はじめて学校にパソコンがやってきたとき、インターネットが使えるようになったときの生徒たちの興奮ぶりは今でも忘れられない教員生活の思い出となっている。
今から振り返ると、ここには「時のしるし」とともに個人の力を越えたなにか大きな力が私に働いていたような気がしてならない。