全能、永遠の神が思い直された、とはちょっと面白いではありませんか。まだまだ未成熟だったイスラエルに対しては、神はこういう風にふるまわれました。
しかし、後にこの父なる神の御独り子であるイエス・キリストが十字架に釘で打ち付けられた時は、イエスの「神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか」(マルコ15・34)との、血を吐くような絶望の叫びには答えられなかったのです。
何もかも失い、絶望の淵まで味わい、惨めこの上ない心情さえも主イエスは人間として知って下さったのでした。
その前夜、オリーブ山でイエスが父なる神に祈った言葉は、それをよく表しています。
まず、十字架の苦しみを前にして、非常な恐れと悲しみに打ちひしがれて、こう祈ります、「父よ、み心なら私からこの杯を取り除けて下さい。」ですが、加えて「しかし、私の願いではなく、み心のままになさって下さい」と。(マルコ14・36)
私も妻も心を一新して、イエス様に従いたいと思います。主も仰るように、新しいワインは新しい袋に入れなければ、古い袋では破けてしまうのだそうですから。
私の望みは、天の国で、地上では決して味わえなかった超美味なワインを、あびる程飲むことなので・・。