さてこの「神の愛と隣人愛という思想」に生まれて初めて触れて戸惑う少年が何をしたか、といいますと、その思想に疲れ果てて、もう考えないようにしようとその愛の思想を封印したことです。これも心新たな二十才頃の決意でした。いよいよ大学を卒業し社会に入ります。想像を超えた厳しい仕事の現実に翻弄されだします。
20代後半から40代にかけて、もう駄目だと諦めた時、優しい先輩や見知らぬ人々の愛情深い支援の手を受けた事がありました。厳しい環境を克服出来ず苦しんでいる時、関係の無い所から差しのべられてきた数々の愛情もありました。この体験から改めて感じたのが、優しい人々の心に住む愛の神様でした。「人の身体は神の神殿」と言う言葉は、私の人生の色々の場面で、いつもわたしの心を新しくしてくれています。
こうした長い旅の中で高校時代に洗礼を受け、その教えに反抗し、その反抗と葛藤の中で成長させられていく自分を想うと、神様の摂理の不思議さを改めて感じます。心新たに洗礼を受けた自分の決意の背後に神様の深く大きな愛の摂理を感じます。