人からの評価やお金、地位など「何か」のために働いていると、しだいに私たちの心を空虚さが蝕んでゆく。仮に自分の思い通りの結果を手に入れ、人から評価されたとしても、それは同じことだ。「何のためにこんなことをしているのだろう。」その問いが、やがて私たちの心の隙間に忍び込んでくる。
そんな気持ちになったとき、一番いいのは「何のために」と考えるのをやめ、「誰のために」しているかを思い出すことだとマザーは言う。この仕事をすることで喜んでくれる誰かの顔を思い浮かべ、その人のために働きなさいというのだ。それは家族でも、友だちでも、助けを求めている見ず知らずの誰かでもいい。大切な誰かが喜ぶ顔を思い浮かべれば、私たちは疲れを忘れ、「またがんばろう」という気持ちになれる。「何か」のための働きは倦怠を生み、わたしたちを疲れさせる。しかし、「誰か」のための働きは愛を生み、愛は疲れを知らないのだ。
例えば、山登りでみんなの食料を運ぶ係になったとしよう。「なぜ私がこんな荷を」と思えばリュックはますます重くなるが、「これはみんなで食べるお握りだ」と思えばリュックは軽く感じられる。あらゆる仕事について、これと同じことが言えるだろう。疲れたときには、「何のために」と考えるのをやめ、「誰のために」しているのかを思い出したい。