どのような仕事であれ、神様が望まれる全人類の幸せに一役をかっていると思うと、出来る限りの努力を重ねて全うしたい思いに駆られます。こうして、「人のために何かが出来る」という喜びを味わっていた頃、病床に伏した友人の嘆きを耳にしました。「役に立たない身になってしまった。」私は精一杯の思いを込めてこれに答えました。「何かを『する』ことだけが仕事ではないと思う。あなたがここに、こうして『いる』という、そのことだけで、神様から与えられている役割を果たしているのだから」と。
行うことと、存在すること。神様が時に応じて各自に望まれるのが、このどちらであっても、誠意をもってこれを受けとめ、担っていくとき、私たちはだれかの、何かの「役に立って」いると思うのです。たとえ、目には見えなくても、感謝の言葉を聞くことはできなくても。それを信じて仕事に携わるなら、自分の志を成し遂げる満足感にとどまらず、信仰に基づく内面の深い喜びを味わうことができるでしょう。仕事が重荷にはならず、生きる活動力となる秘訣はここにあるのではないでしょうか。