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仕事と私

シスター 菊地 多嘉子

今日の心の糧イメージ

 学生時代、私はひたすらに学ぶこと、新しい発見に挑戦することを自分の仕事と見なしていました。と言うのも、私の学びは小学生の頃から志していた目的の達成に向かっていたからです。しかし、教会に導かれて洗礼を受けてからは、学びに専念することが、私の使命につながっていることを意識するようになりました。つまり、神様が私に望まれることを果たすために備える、それが今の仕事であると考えるようになったのです。

 どのような仕事であれ、神様が望まれる全人類の幸せに一役をかっていると思うと、出来る限りの努力を重ねて全うしたい思いに駆られます。こうして、「人のために何かが出来る」という喜びを味わっていた頃、病床に伏した友人の嘆きを耳にしました。「役に立たない身になってしまった。」私は精一杯の思いを込めてこれに答えました。「何かを『する』ことだけが仕事ではないと思う。あなたがここに、こうして『いる』という、そのことだけで、神様から与えられている役割を果たしているのだから」と。

 行うことと、存在すること。神様が時に応じて各自に望まれるのが、このどちらであっても、誠意をもってこれを受けとめ、担っていくとき、私たちはだれかの、何かの「役に立って」いると思うのです。たとえ、目には見えなくても、感謝の言葉を聞くことはできなくても。それを信じて仕事に携わるなら、自分の志を成し遂げる満足感にとどまらず、信仰に基づく内面の深い喜びを味わうことができるでしょう。仕事が重荷にはならず、生きる活動力となる秘訣はここにあるのではないでしょうか。