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仕事と私

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 聖書の冒頭、創世記によりますと、天地万物の造り主である神は6日間で存在する一切を造り、7日目に休まれたということです。

 その部分を要約しますと、「初めに神は天と地を造られ・・光あれ、と言われると光があった・・夜が来て朝となった・・第一日である」。そして神は順次万物を造られ、「第七の日に神は仕事を離れその日を祝福され、休息された」と記されています。(参・1章〜2章・3節)

 しかし、地球も無いのに一日があるのかなど、あらゆる科学的な分析を連ね、何億ページもの研究書を網羅したとしても、聖書で簡潔に語られている以上に、その全体像を示すことはとても出来ないでしょう。

 この聖書の冒頭の記事を読むと、等身大で理解できるように書かれていることが、カトリック信者である私達には、「ウムウム、そうだそうだ」と納得できますが・・・。

 確かに聖書は科学とも共通する世界の生成を語りますが、しかしそれは、科学的な現象を解明する意図から書かれたのではなく、神が造り、祝福したけれども、その神の前から去ってしまった人間を神のみ前で再び幸せにしてやろうという、神の親心の面から書かれているということです。

 ということから、7日目を、仕事から離れ、当時中東に沢山あった偶像や神々を礼拝するのではなく、ただ私達を造られた主なる神のみを礼拝するように、聖書は書かれているのです。

 つまり、すでに7日目を主の日として神を礼拝していたイスラエル人が、「ウム、なるほど」と納得できるように、この記事が出来上がってきたのだそうです。「第七の日に神は仕事を離れその日を祝福され、休息された」と。私も納得。

 それにしても、私は日曜日に演奏会本番が多く、困っておりますが。