ドイツの哲学者、ヨゼフ・ピーパーによると、中世ヨーロッパにおいては、休みを知らずあくせく働くことが「怠惰」だったのだ、という。つまり、本来の自分自身に戻るために絶対必要な「余暇」を取ることがないほど働くことは、人間固有の尊厳にふさわしい生き方を放棄しているのと同じで、これこそが「怠惰」なのだと説明する。
聖書にもあくせく働いている人に、イエスがやさしく招きの言葉をかけている個所がある。
マルタとマリアという二人の女性の家をイエスが訪れた。マリアはイエスのそばに座って、話に聞き入っていたが、マルタはイエスをもてなそうと、あくせく立ち働いていた。ついにマルタが、イエスに苦情を述べる。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」(ルカ 10・40)
これに対して、イエスはこう答えている。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(同 10・41)
誰かのためにと働いていても、時に、働くことのために働いてしまう。我を忘れて仕事にのみ没頭してしまったマルタにイエスは、心を乱しているよ、と諭される。
忙しいからこそ、本当の自分を見つめ、一番大切なことを優先することが不可欠なのだ。