百数十名のシスターたちの夕食の配膳を割り当てられていた私は手際よく、しかし心の中では「なんとつまらない仕事、早く済ませてしまおう」とだけ考えていました。
「同じ並べるのなら、やがて食卓につく一人ひとりのために、祈りながらしたらどうですか」修練長は諭すように言われ、何も考えず、ロボットと同じく機械的に仕事をしていたのでは、時間がもったいないということを教えてくださったのでした。
「つまらない、つまらない」と考えながら過ごした時間は、私の人生の中に、つまらない時間として刻まれ、「お幸せに」と願いながら過ごした時間は、同じ時間でも、愛と祈りのこもった30分として残るのです。時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方であることを、その日、私は教えられました。
仕事は、すること(doing)も、もちろん大切ですが、どういう気持ちでしているかという私のあり方(being)を忘れてはいけないのです。
私が、「お幸せに」と祈りながらお皿を並べたから、夕食に座ったシスターたちが幸せになったかどうかは、わかりません。
私が変わりました。仕事に対して不平不満を抱くことがあった私が、少しずつではあっても、与えられた仕事を一つひとつ意味あるものとして、ていねいに向き合う私になってゆきました。雑用は、用を雑にした時に生まれるのです。