▲をクリックすると音声で聞こえます。

私とロザリオ

シスター 菊地 多嘉子

今日の心の糧イメージ

 カトリック教会に導かれて、最初にロザリオを手にしたときの喜びを、今も忘れることができません。日曜日のミサにあずかることもたのしみでしたが、ロザリオの祈りはどこででも、どんなときにも祈ることができます。当時は、自分の部屋で聖母の小さなご像を前に祈るのがつねでしたが、外出の際には必ずポケットにロザリオをしのばせ、歩きながら、電車にゆられながら、一つひとつ玉を繰ってゆきます。指に触れる玉の感触と、繰り返すアヴェ・マリアの祈りが一つに解け合って、聖母を母と仰ぐ子どもの喜びが胸に広がるのを覚えるのでした。

 今は亡きイエズス会のホイヴェルス神父様のお勧めが思い出されます。「ロザリオの祈りは歌にたとえられます。アヴェ・マリアはメロディで、歌詞は祈りながら黙想するイエスとマリアのご生涯の神秘です。歌い馴れたメロディを口ずさむようにアヴェ・マリアを唱えながら、イエスと御母マリアがご生涯中味わわれた喜び、悲しみ、光栄を深く思い巡らしましょう。」

 人生の途上で遭遇する苦しみのとき、喜びのとき、感謝に溢れるとき、ロザリオを手に、イエスとマリアの御心と一つに結ばれて祈るのは、ほんとうに嬉しいひと時です。自分のためばかりではなく、祈りを依頼された方々のため、祈りを必要とする世界中の人々のため、そして、すでに世を去った愛する人々のためにも。

 一日中、肌身離さず持っているロザリオ、それは病床に伏す身になったとき、わけても人生の最期を迎えるときに、御父のもとに帰る私の慰め、喜びとなることを願っています。