ロザリオと聞いて真っ先に思い出すのは、亡き妻の姿です。日々悪化する病と闘いながら、ロザリオの祈りを繰り返し唱えていました。病気のため失明したとき、一晩泣き明かした後、「目が見えないことをお母様マリア様を通してお捧げします。み栄えのために喜んで」と祈っていました。嬉しいことも悲しみもすべて「マリア様を通してお捧げします。み栄のために喜んで」と妻は祈っていたのです。
天使ガブリエルがマリアに言った「恵みに満ちた方」(ルカ1・28)とは、世間の人から無条件に祝福される恵みではありませんでした。結婚前に聖霊によって身ごもることは、容易に理解されることではないからです。マリアの理解者は、夫ヨゼフ、マリアの両親、「あなたは女のうちで祝福され」(ルカ1・42)と語ったエリザベトなど、ごく少数だったに違いありません。剣で心を刺し貫かれる辛さの中、神への信頼を失うことなく、わが子イエスと共に歩み、救いのわざに参与されたマリアはやはり特別な方です。
小さな出来事に一喜一憂し、すぐ落ち込む私にとって、「今抱える苦しみをお捧げします」と祈ることは、結構骨が折れることです。でもアベ・マリアの祈りを繰り返し、ロザリオを唱えているうちに、不思議と心が落ち着いてくるのを感じます。そして最後には「お捧げします。み栄のために」と祈ることができるようになるのです。
マリア様が一緒に祈って力づけてくださる、それは本当の話なのです。