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私とロザリオ

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ

 私は子どもの頃、盛岡の白百合のシスター達が、昔の古い修道服に、大きな珠の長いロザリオを何重にもして腰に下げていらした姿を忘れられません。でも私自身はなかなか熱心にロザリオの祈りをするというわけではありません。どちらかと言うとロザリオを握って、いろんなことを考えていたい、祈っていたいと思ってしまうのです。

 いつもロザリオを肌身離さず持っているわりには、しょっちゅうなくしてしまいます。先日も、東京でホテルに泊まった時に枕の下にロザリオを置いたままチェックアウトし、ホテルに電話して探してもらい、ホテルから送ってもらいました。そのロザリオは、オリーブの木で作ったもので、ある修道会の手作りの素朴なものでした。とても素敵な作りです。

 そして、3年前のこと、馴染みの洋服と骨董のお店に寄った時に、小さな古いロザリオをみつけました。お店の人はそれを祈りのためのロザリオとは思わず、「不思議なんですよね、このネックレスは小さくて首にかけられないのです、それにケースもついているんです」というのです。手に取ってみて、息をのむほど驚きました。それはルルドの古いお土産で、小さな銀製のものでした。しかも、ベルナデッタの衣服の切れ端が入れ込んでありました。私は、ちょうど、心のともしびのために、自分の洗礼名のベルナデッタについての原稿を書き終えたばかりでした。私にとっては安いものではありませんでしたが、私はそれを買い求め、私の宝物になりました。

 そのとき、私は長年住み慣れた東京を離れ、病気中の夫と長男とともに、岩手に引越して、新しい生活を始めたばかりでした。何かこれからの人生に必要なものが与えられたようでした。