日本人である私がいきなり面食らったのは、ラテン語には、日本語のいわゆる「てにをは」が無い!という事でした。そのかわり、ローザと言えば、それは「バラは」とか「バラが」という意味であり、ローゼといえば「バラの」という意味なのだと解ってきました。
ところで、ロザリオは、この薔薇の花で祈りの冠を作ろうといった気持ちから生まれたそうで、私たちの祈りを助けるための器具なのです。丁度、仏教の数珠のように、沢山の小さな珠が鎖でつなぎ合わされていて、全体として一つの環になっています。
そして、この一つ一つの珠に触れながら、「天におられる私たちの父よ」の、主の祈りとか、マリア様に取り次ぎを願う「アヴェ・マリアの祈り」を唱えてゆく訳なのです。
中世の昔から伝えられているこの祈りは、第二バチカン公会議後の教皇様がたも奨励しています。祈る言葉こそ単純な繰り返しですが、そこに向ける意向を合わせると、キリストをめぐる主な出来事に毎日のように触れる事となるからです。
それに、主イエスと一緒に暮らしてこられた聖母マリア様の気持ちと共感しながら過ごす一時は、マリア様の母としての想いの一端を、私にも味わわせてくれるようなのです。何と深い喜び、悲しみ・・・。
してみると、いいアイデアですよねー、この祈り。これならお年の方にも難しくありませんしね。
なのに、その仲間である私は、現代語訳のロザリオの祈りの言葉が、どうしても覚えられないのです。
あーあ、年だなーもう。