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私とロザリオ

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 もし私がロザリオを胸の中に入れていなかったら、あの時、どうなっただろうとぞーっとします。30代の頃、所用で海外に飛んだ時、その飛行機が事故に遭いました。胴体着陸したのです。

 私は無事助かりましたが、6名の方が亡くなりました。機体を軽くする為にガソリン等を捨てながら着陸したのです。私も「もう駄目だ、これで自分の人生も終わりだ」と諦めますが、子供の頃からの悪さや、良心の呵責を伴う想い出、兄弟や友達の事、やり残した自分の人生の沢山の夢などを思うと、悔し涙が止まりませんでした。

 死んでいく時は苦しいだろうなあ、私の魂は天国に行けるのだろうか、あれこれ考えると苦しくなりましたが、ふと胸の中にロザリオがあるのを思い出しました。日本で大学生の時に購入し、好きなアイルランドの神父様から祝福していただいたロザリオでした。

 ロザリオの先には十字架にかかったキリスト様がじーっと私を見つめていました。そして静かにロザリオの祈りを自然に口にしていたようです。カトリツクの洗礼を受けていて本当に良かったと、滑走路に突入していく時に心から感謝したのを思い出しています。多分自分は死ぬだろうけれども、天国に行ける事を信じて死んでいこう、とロザリオを握りしめながら突入したのは40年も前の事ですが、今でも明確に覚えています。

 ロザリオを意識する前の私の恐怖感と、ロザリオを思い出して、しっかりと手にして滑走路に向かった時の安心感はどこから生まれてきたのでしょう。現実は恐ろしい場面なのに私の心の中のこの二つの感情、恐怖から平安感への激変の理由は今でも不思議な体験でした。信仰の力の物凄さをしみじみ感じます。