

学生が日本食は好きかとよく尋ねてきます。大好きだと答えると、嬉しそうです。ところがそれにつづく問いに答えると、学生は戸惑い、それからクスクス笑いだすのです。
ゴボウです。日本に来る前、ゴボウを食したことはありません。
米国でゴボウの実と言えば、犬と原っぱを散歩中に、よくその毛に引っ掛かってとれなくなるイガイガのことでした。イガ(burs)と呼ばれる雑草です。
日本で根菜を夕食に供するなど考えもしませんでした。食料品店の棚で目にした後も、あえて手にとりたい代物ではありません。土のついた根っこに食欲を誘うものなどないのです。
ところが、ゴボウはサイコーにおいしい!
ゴボウへの敬いは年とともに深まり、食卓での喜びを超えるものとなりました。
ゴボウは根っこについての考え方を変えてくれたのです。そのイメージは荘厳な樹木の足元で大きく張り出したものでした。根っこは先祖や故郷のシンボルとしてそれなりに重みを帯びています。でもゴボウは細くて、もっと弾力があります。安定性と栄養を提供しますが、決して重いものではありません。
同様に、人生を通じて私たちを形づくり根づかせるうえで、何気ないものが身の周りに多くあります。素晴しいけど通り過ぎてゆくつながり、趣味や日々のルーティーンなどのように。これらは私たちの起源につながることはないかもしれませんが、未来にむけて私たちを着実に養ってくれるのです。
ゴボウ自体の寿命はせいぜい一、二年です。その間にまとわりつく小さなイガイガの形で種を飛ばすか、または千切りにされて輝くキンピラゴボウの小鉢に供されるか、には充分です。ゴボウは樹木の根っこのような永続性には欠けるのですが、それでも生き残っていくのです。