

家族も世間も教会も、本来は愛による共同体です。私たちは、どのようにそれらの共同体の中に身を置いたらいいのでしょう。
祈っている時、私にはナザレの聖家族、イエス、マリア、ヨセフの日常生活が、世間に生き、そしてキリスト者として生きるためのお手本だと思えました。聖家族の中に世間の人々に溶けこんで生きるキリスト者の根っこを、言い換えればルーツを見ます。
イエス・キリストの誕生の次第は、天使ガブリエルがマリアのところに遣わされて「あなたは神から恵みをいただいた」と、聖霊によって身籠っていることを告げたと聖書に記されています。(ルカ1・30)
マリアと同居する前に、このことを知らされた正しい人ヨセフの懊悩はいかばかりだったでしょう。私なら、世間の目も気になったと思います。
けれども、天使の言葉(参マタイ1・20)により、ヨセフはマリアを迎え入れました。この、ヨセフの神への信頼がなければ、救い主の誕生はなかったのです。
神の愛を心から信じたマリアとヨセフ。そして、イエスの誕生後も、さまざまな危機と困難に遭遇する世間の中で生きぬいた、聖家族の姿は私たちキリスト者のルーツです。
私は、祖母が縫い物をする姿を幼い頃から見て育ったのですが、その丁寧な作業、高い裁縫技術は、祖母が厳しい環境の中で身につけたものでした。書道家の母も、苦労の多い人生でしたが、大病が完治して、亡くなる迄の六年間、私が買ってくる色紙に
絵画や絵本などで、大工仕事をするヨセフ、手伝う少年イエス、糸巻きをする聖母の姿などを見ると、この二人の姿と重なってホッとします。
神を愛するものたちのルーツは聖家族の姿にあり、私たちの根っことなっていると思うのです。