▲をクリックすると音声で聞こえます。

自然に親しむ

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 自然というのは、神様がお造りになった素晴らしい世界を現しています。

 人間は神の子ですが、同時に自然の子です。今日の大自然が、かつてのような美しさ、雄大さ、繊細さなどの一部を失っているとすれば、私たち人類が、自然界を私利・私欲のために破壊し、濫用してきたからではないでしょうか。

 大自然は私たち人間の一部です。ですから、私たち人間は自然を愛し、大切にして、人間の進化・発展のための必須のパートナーと見なすべきです。それが聖書にある天地創造の物語の教訓ではないでしょうか。

 人間を「神の似姿」として創造された神は、その他の生き物や自然を治めなさいと言われました。

 それは、人間が世界の生き物や自然界の事物を自分たちのパートナーとして取り扱い、秩序正しく利用しなさいという意味ではないでしょうか。
 自然を愛と感謝の念をもって、人々のより大いなる進歩・向上のために節度正しく用いるとき、人も自然も神の創造物として光り輝くにちがいありません。

 わたしは若いとき、富士山に3回登りました。
 ある時友人と二人で、5合目からは登山道のない斜面を溶岩にすがりつき、(けん)(みね)の頂上を目指し、途中何度も神様に祈りながら、3時間かけて登ったことがあります。

 少し遅れていた友人を待っている間、頂上に腰を下ろし、真っ青な空と下に広がる雲海、そして遠くに小さく見える町のあかりなど、深い平安と歓喜のうちに眺めていました。まさに至高経験でした。

 その時、自我のはからいが無くなり、ただ自然の動きと一体になるような感覚を覚えました。

 多くの文学作品に「山に真理がある」といった意味の記述がありますが、私は神の存在を体感したように思っています。